TOKYO TATEMONO RECRUITING

はじめに東京建物の未来を語る

東京建物の
未来を語る

LEADERS CROSSTALK

東京建物の未来を語る

※在籍部署はインタビュー当時の部署となりますので、現在の部署とは異なる可能性があります。

  • 長井 芳行

    プロジェクト開発部 グループリーダー
    2002年入社

    2002年~2010年

    関西支店において住宅事業の用地取得、商品企画、事業推進に携わる。

    2010年~2015年

    住宅事業第二部(後に再開発・建替事業の専門部署としてプロジェクト開発部に部署名変更)に異動。担当時代は事業推進グループに所属。主な担当プロジェクトは多摩ニュータウン建替プロジェクト、池袋新庁舎再開発プロジェクト、目黒再開発プロジェクト等。

    2015年

    プロジェクト開発部再開発・建替グループグループリーダーに就任。

  • 樺木野 恵介

    ビルマネジメント第二部 中野営業所 所長
    1997年入社

    1997年~1999年

    横浜営業所にて、ビル運営・管理に携わる。

    2000年~2004年

    東京建物不動産販売へ出向し、仲介・買取仲介に携わる。

    2004年~2007年

    総務部法務グループにて、現場の法的サポートに携わる。

    2007年~2009年

    みずほコーポレート銀行へ出向し、不動産ノンリコースローン等に携わる。

    2009年~2012年

    都市開発企画部企画グループにて、現場サポート全般の業務に携わる。

    2012年~2013年

    ビル事業企画部戦略推進グループにて、大型開発SPC(特別目的会社)のマネジメントに携わる。

    2013年

    ビルマネジメント第二部 中野営業所にて、所長としてビル運営・管理に携わる。

  • 龍満 直人

    法人ソリューション推進部 グループリーダー
    1999年入社

    1999年~2001年

    戸建住宅事業部にて戸建の開発全般(用地・事業推進・販売企画)に携わる。

    2001年~2003年

    つなぐネットコミュニケーションズに出向し、ISPにおける商品企画等に携わる。

    2004年~2005年

    住宅事業第二部にて、分譲マンション開発の事業推進に携わる。

    2005年~2007年

    住宅情報開発部にて、分譲マンションの用地取得に携わる。

    2008年~2015年

    企画部にて、会社の経営企画全般に携わる。

    2015年

    法人ソリューション推進部にて、グループリーダーとして法人向けソリューション提案営業に携わる。

  • 久保 智志

    都市開発事業部 グループリーダー
    2005年入社

    2005年~2009年

    都市再生プロジェクト推進部にて、霞が関コモンゲート、大手町タワー等の都市開発事業に携わる。

    2009年~2013年

    企画部にて、取締役会・経営会議等の会社運営や組織改正等に携わる。

    2014年

    都市開発事業部にて、グループリーダーとして都市開発事業の新規用地取得及び事業推進に携わる。

TALK.1

それぞれの感じる「東京建物だから」得られたこと

今日は、よろしくお願いします。ほぼ同年代ですが、こうして集まると「濃い」メンバーですね(笑)。

それぞれのバックグラウンドが異なり、歩んできたキャリアも全然異なりますしね。どんな話になるのか楽しみです!

早速ですが、バックグラウンドもキャリアも異なるからこそ興味があるのですが、皆さんの東京建物だからこそ「得られたこと」や「体験できたこと」は何ですか?

私は、入社して最初に配属となった関西支店での経験が大きかったですね。関西支店は、少人数だったこともあり、用地の取得から事業推進、商品企画まで全部最後まで一人で担当させてもらったことで、プロジェクトを俯瞰的に見るスキルが得られました。また、部署の垣根も無く、当時は住宅グループの所属でしたが、すぐ隣にはビルグループのデスクがあり、いつでも双方にアイデアや情報を共有し連携して動けたことも大きな財産となりました。

早速、東京建物らしい話ですね(笑)。皆さん感じていることだと思いますが、個々人に与えられる裁量の大きさは特徴ですよね。私は、戸建住宅事業からキャリアをスタートし、その後2001年から、マンション向けのインターネットプロバイダー事業を立ち上げる東京建物を含む3社が出資した会社に出向しました。参画する各社からは、キャリアのある方々が出向される中で、当社からは私を含めた2名の若手社員。正直、気圧されることもありましたが、これからの事業で何の枠組みもない中、役割だけを全うしていては意味がないと思い、柔軟な発想をもってさまざまな事業者を巻き込んで仕事を進めていきました。ここでの経験によって、制約を設けずに仕事に臨む姿勢を育むことができたと感じています。

その経験って入社何年目のことだったのですか?

3年目です。右も左も、分からない状態で…。

凄いな。私は、転職し東京建物に入社しましたが、前職も総合不動産ディベロッパーで働いていました。その会社は、良くも悪くもトップダウンで裁量が限られており、自分のカラーを発揮することができずフラストレーションが溜まっていました。そのため、東京建物の風土は、私にとって驚きの連続でした。入社後すぐ、霞が関コモンゲートや大手町タワーなど大規模都市再生プロジェクトに携わりましたが、すべてと言ってよいほどボトムアップに仕事を進めており、「これはチャンスだ!」と感じたことを鮮明に記憶しています。自らの考えを発信し、多くの関係者を巻き込んでいくダイナミズムを肌で感じることで、責任感も大きくなっていきました。

龍満さんのように出向経験は、大きな財産になりますよね。私も、入社3年目から5年間、東京建物不動産販売に出向した経験が、仕事に対する基本的なスタンスに大きく影響しています。不動産仲介の仕事に携わりましたが、手数料ビジネスのため一件あたりの売上が大きくない中、営業目標達成のために、行動量でカバーする毎日を過ごしました。苦労の方が多かったのですが、ひとつの案件の苦労が大きい分だけ、取り扱う金額の多寡を問わず一つひとつの仕事への想いが強くなっていきました。後のキャリアで、大規模都市開発に携わることになり大きな金額を扱うようになっても、出向当時のひとつの仕事の何十倍、何百倍を扱うほど大きな責任を伴っているのだと考え、仕事に厳しく臨めるようになりました。

外から東京建物という会社や仕事を見る機会という意味でも、出向は良い経験になりますよね。

そうですね。私の場合、みずほコーポレート銀行にも出向させてもらいました。リーマンショック前後の2007~2009年だったこともあり、経済の動きを敏感に感じ、会社の置かれている環境を肌で感じることができました。当時を振り返ると、まるでジェットコースターが上まで登って、一気に落下するような感覚でしたね。話は変わりますが、リーマンショックは、東京建物という会社にとって大きな転機になりましたよね。

東京建物の未来を語る

TALK.2

逆境の中で見つめ直した「東京建物らしさ」

私は、リーマンショックの年の1月に企画部に異動となったのですが、異動した際にはすでにサブプライムローン問題が表出しており、市況の潮目が大きく変わりそうな空気が漂っていました。そして2008年の9月15日を境に深刻な金融危機に陥りました。多くの業界が深刻な状態の中、東京建物もこのままでは倒産もありうるというくらいの危機感を持ちましたね。その後、2011年には創業以来最大となる717億円の赤字を計上するに至り、各金融機関との交渉まで担当し、まさに敗戦処理の毎日でした。しかし、後ろ向きな人は誰もおらず、会社としてどのように存在していくべきか、いかにして成長していくかを、皆で必死に考えたことが印象に残っています。

私は当時、世の中も会社も大変な時に、総合不動産ディベロッパーとしての社会的責務みたいなものを痛切に感じました。リーマンショック前の不動産市場が活況だった際に、大きなプロジェクト用地を4つや5つくらい取得し、さぁこれからプロジェクトを推進するために資金調達するというタイミングでリーマンショックを迎えて。普通に考えると会社を潰さないためには、いくつかプロジェクトを辞めるということが一般論としてはありえたのですが、社内には、「単に当社のプロジェクトとしてではなく、街の未来がとん挫してしまう。何としてもやり抜こう」という使命感が強かったですね。

私は、当時管理部門に在籍していました。このような時期ってどうしてもリスク管理を強めていこうという方向に働きがちなのですが、内部を変えていくチャンスだなとも同時に感じました。長い歴史の中で、当たり前のように行われていた慣習やルールなど変革に無縁なことにも目を向け、より強い会社にしなければいけないという意識を持って、組織改革を行っていく転機にもなりました。

誤解を恐れずに言えば、それまでは「そんなに頑張らなくてもなんとかなる世の中でしたし、会社だった」のではないかなと思います。それが逆境を機に、「自分たちに特別なノウハウや力は無い。一から考え直して行動しないと生き残れない」という危機感を抱きました。初心に返って謙虚に、「今まで自分たちはプロでもなんでもありませんでした。一から出直します」という感じです。そこから何度も、「特にノウハウが無い当社が、顧客満足度向上や地域貢献のために、何ができるか、何をするべきか」といったことを必死に皆で考えました。それがあったからこそ、東京建物が「あるべき姿」に進化したと思います。本当にユーザーや世の中のためになってきているんだという実感も持てるようになりましたね。

確かにそうですね。関西支店でリーマンショックを迎えた際、あるプロジェクトの工事中に施工会社が民事再生を申請し、工事を中断する事態に陥りました。今まで経験したことのない状況でも、「お客様のために」という想いを持って懸命に行動したことで、引渡し遅延をなるべく短くしました。お客様にご迷惑をかけたため、決して誇れるようなことではありませんが、そのような経験を通じて、より緊張感をもって業務にあたるようになりました。

これまで変わらず大切にしてきたことに、より一層向き合う転機となったと言えますよね。100年を超える歴史ある企業であっても、常に変革し続ける決意を持たなければ未来はありませんから。

TALK.3

これからの「東京建物のあるべき姿」

これからの東京建物のあるべき姿を、皆さんはどのように描かれていますか? 多くの経験の中で、成功も失敗も共に分かち合った私たちが、どのように率先して行動すべきか重要なテーマですよね。

「次も選ばれる東京建物」をどのように実践するかということでもありますしね。作り手だけの発想だけではなく、世の中が何を欲しているかに常に耳を傾けることが重要だと考えています。住宅事業で言えば、東日本大震災を境に、品質・安心・安全へのニーズが高まっていますし、また、共働き世帯の増加によって、働く女性の目線で商品企画することも重要となっています。今、求められていることだけではなく、将来何が必要になるかも考え抜き、商品企画をしなければ、選ばれることはありません。また、顧客満足度を高めることによって、シナジー効果も発揮できると考えています。例えばBrilliaにお住まいの方の満足度を高めることで「東京建物が手がけるオフィスビルに会社の入居を検討してみよう」とお考えになったり、年月を経てご高齢になられた際に「東京建物が手がけるシニア事業の施設に入居してみよう」など、住宅から住宅だけではなく、住宅から他の事業への橋渡しもできるはずです。

確かに企業の戦略は、環境や時代と共に変わっていくので、それを敏感に捉えて対応していかなければいけないと思います。法人ソリューション推進部では、これまでにない新しい価値を追求していくことにもトライしています。これまでは、業界ごとの典型的な不動産ニーズを、ある程度までは予測することができました。しかし、テクノロジーの伸展などによって、さまざまな業界で新規プレイヤーが参入し、産業の壁みたいなものが崩れていくであろう中では、「これまでの常識がまったく通用しない世の中」もそう遠くない未来に訪れることでしょう。その際に、「東京建物は総合不動産ディベロッパーとして住宅とビルに強みを持っています。だからこんなことができます」というだけではまったく太刀打ちできないことも予想されます。東京建物のリソースを使ってお客様の課題を解決し、東京建物にビジネスチャンスを呼び込んでくるのが私の主たるミッションではあるのですが、今後を考えると、それだけでは立ち行かないため、外部のリソースとも連携しながらお客様の不動産課題を解決することにも取り組んでいます。お客様の不動産課題が10個あったら、その10個にすべて打ち返せるような対応力の広さが、これからは必要だと感じています。

らしさの追求は、大きなテーマですね。都市開発においても、労働人口の減少や産業構造の変化に伴い、開発を手掛ける立場にもより一層、競争の波が押し寄せてくるはずです。そのため立地選定も、より一層重要なファクターになると思います。場所は単純に「空地があるからどうぞ開発してください」というような場所ではなく、さまざまな地権者の方がいらっしゃり、開発要件が複雑な場所での開発が増えていくことが予想されます。開発のアプローチとしても、地区の歴史や特性を十分に活かし、差別化を図っていくことも、地権者の方やテナント様から求められる時代になっていきます。また、当然開発をして終わりではなく、出来上がったあともエリアマネジメントに力を入れ、地域の方々とどう街の価値を維持・向上していくのかという視点も、より一層大切となります。 このようなまちづくりへのアプローチは、街に住まう・働く人に寄り添うことを大切にし、開発を進めてきた当社だからこそ、このような時代においても誠実に向き合い、そして確かな価値を生み出していけると確信しています。

久保さんの話にあったようにビルはこれからどんどん選ばれていく時代になっていきます。人は減っていくし、働く人はもっと減っていくし、高齢化は進む。働き方改革によって、テレワーク等が進めば、ワークスペースの概念も変わっていきます。ビル運営という観点で言えば、出来上がったビルは動かすことができないので、今ここに建っている建物をどう時代に合わせていくかを真剣に考えていかないとあっさり負けてしまうと感じています。そのためにも、ご利用いただく方に「このビルにいたい」と思っていただくサービスを提供するしかありません。オフィスビルは、オフィスワーカーが人生のかなりの時間を過ごす場所なので、そこが本当に安全・安心・快適かそうでないかは、そこで働くオフィスワーカーとその家族の人生に影響を与えると思うんです。そこまで立ち返って「本当に安全なのか」「本当に安心なのか」「もっと居心地よく快適にするためには」ということを真剣に議論しなければなりません。その結果、同業他社の誰でもやっていることだとしても、それでもいいんですよね。誰でもやっていることを「何倍も丁寧にやろう」「何倍も愚直にやろう」というやり方でいいんじゃないかなと。

皆さんの想いを聞き、改めてシナジー効果を追求することで未来が拓けると感じました。東京建物グループには、住宅事業、ビル事業のほかに、介護サービスまで含めたシニア事業を展開していたり、駐車場事業があったりペット向け事業を研究している人がいたり、保育園があったり、さまざまなことに取り組んでいます。積極的なコラボレーションによる全員野球をさらに深めていきたいですね。

この世代になると多少はベテラン感が出てしまいますが、いつまでも若い頃と変わらないテンションと感覚で仕事をしていたいですよね。立場がどの様に変わっても、常に一定の危機感を持ちつつ、環境の変化を謙虚に見つめ、将来の夢も追い求め、いつまでも型に捉われず挑戦していたい。それが許される雰囲気も、この会社の魅力ですね。

東京建物の未来を語る