渋谷二丁目プロジェクト

行政、地権者様の 想いが託された 渋谷エリア最大規模の再開発

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PROJECT STORY_01 SHIBUYA 2-CHOME PROJECT

渋谷二丁目プロジェクト

行政、地権者様の 想いが託された 渋谷エリア最大規模の再開発

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プロジェクトの背景

再開発ラッシュから
取り残された渋谷東口エリア

渋谷は現在、100年に一度とも言われる再開発ラッシュに沸いている。そんななか、敷地面積および延床面積においてエリア最大規模の再開発が、渋谷二丁目西地区第一種市街地再開発事業(以下「渋谷二丁目プロジェクト」)だ。

渋谷駅周辺が、国から「特定都市再生緊急整備地域」に指定されたのは2005年のこと。積極的なまちづくりを促すことで、東京の国際競争力を高めることが狙いだ。これと連動する形で同年、渋谷区によって「渋谷区都市マスタープラン」が策定され、まちづくりの方針が示された。

渋谷駅東口エリアについては、渋谷区が2007年に策定した「渋谷駅東口地区地区計画」に沿って再開発が進んでいた。4つの街区のうち、当時すでに3つの街区には動きがあった。一方で、渋谷二丁目を含む街区だけが開発から取り残されていたのだ。その一帯は、広幅員道路の青山通りによってまちが分断され、渋谷駅周辺の賑わいや人の流れが及びづらい地域になっていた。

空前の大規模プロジェクトは、
1棟のビルから始まった

東京建物は当時、渋谷にあまり馴染みがなかった。ただ今後の事業成長を見据え、会社として進出したいエリアでもあった。そんなタイミングで、渋谷二丁目のとあるビルの売却情報を入手したのが、当時ビル用地取得を担当していた大野である。立地的に面白そうだということで、上司に検討したい旨を申し入れたのだ。

その上司は、渋谷のまちづくりの動向を把握していた。「これは、大規模再開発につながる可能性がある」。そんな見通しからGOサインが出て、短期間で社内を説得することに。わずか2週間という異例のスピードで上層部の承諾を取り付け、購入申込書を提出。その1ヶ月後にはビル取得へとこぎつけた。

このビルこそが、渋谷二丁目プロジェクト始動の足がかりとなった「渋谷SSビル」である。そこからいったいどのような経緯で大規模再開発へと発展したのか。行政、地権者様とどのようなコミュニケーションとプロセスを踏みながらプロジェクトを推進していったのか。現在、事業推進を担当する大野に話を聞いた。

YOSHINORI
ONO

大野 好範

プロジェクト担当者

大野 好範

都市開発事業第二部
2008年入社
工学部 社会環境工学科卒

STORY
TELLER

ストーリー1

STORY_01

「ついに来ましたか。待ってましたよ」

再開発はある日突然スタートするわけではありません。その前に、行政や地権者様からの後押しを得る「下地づくり」の期間があります。「開発気運の醸成」とも言いますが、そこに時間がかかるんです。プロジェクトによっては、10年以上の歳月を要するケースも珍しくありません。その点では、今回はありがたいことに下地がある程度整っていました。

それを実感したのは渋谷SSビル取得後、お隣のビルの所有者様にご挨拶に伺ったときのことです。用件はもちろん、「将来的な共同建て替え事業のご提案をさせてください」というもの。すると偶然にも、その方は渋谷二丁目の町会長さんでした。最初に言われた言葉は忘れもしません。「ついに来ましたか。待ってましたよ」。詳しくうかがうと、D地区にはこれまでデベロッパーがなかなか入って来てくれなかったとのこと。渋谷駅周辺の開発が進んでいく中、D地区は取り残されている感覚があり、まちの将来に漠然とした不安を持っていたといいます。「近所の人にも、東京建物さんの話を聞いてあげてと伝えておきますね」。こうして、強力な後押しを得ることができたんです。

その後の2年半にわたって、開発の気運を高めるため各地権者様を訪問し共同建て替えに関する意見交換を続けましたが、おおむね好意的な反応が返ってきました。これはもう、私の人柄というより、町会長さんのお人柄のおかげです(笑)。それに、東京建物という会社の看板にも助けられました。すぐ隣の街区には当社が昔から所有するビルが2棟あり、二丁目の方々の多くが当社の存在をご存知でした。歴史の長い総合不動産会社という信頼があったから、個人と個人の関係づくりへとスムーズに移行できたんです。

ストーリー2
ストーリー2

STORY_02

地域課題を解決する。採算性も確保する。

渋谷SSビルの敷地は小さかったものの、多くの地権者様にご賛同いただき、開発範囲はだんだんと拡張していきました。ただ、ひとつネックになったのは、敷地を分断する渋谷区道の存在です。通行量が限られる道路だったこともあり、土地の高度利用を図るためにも道路を廃止していただくべく渋谷区との行政協議に臨み、代替ルートの確保などを条件に許可をいただくことに。その結果、細切れの土地が多い渋谷において滅多にない広さのひとつの敷地が誕生。計画の自由度が格段に上がりました。

また私たちは、都市再生特別措置法に基づく「都市再生特別地区」(略称:特区)の制度を活用したいと考えました。本制度を活用することにより、都市計画法で規制されている容積率や高さなどの規制が解除され、土地の高度利用を図ることが可能となるからです。ただし、本制度の活用にあたっては、再開発によって地域が抱えるさまざまな課題を解決することが求められます。そこで、渋谷区の地域課題の分析を進めた結果、大きく3つの提案を行うことになりました。

1つ目は、渋谷駅周辺の商店会長らから区長宛に要望が寄せられていたバスターミナルの整備です。これにより国際空港や地方都市、観光地との間を結ぶ広域交通機能強化を図ることができます。2つ目は、国際水準のハイクラスホテルの整備。渋谷は多数の外国人観光客が訪れますが、外国人富裕層に満足してもらえる宿泊施設が少ないという課題を抱えていたためです。そして3つ目は、宮益坂上の五差路のバリアフリー化。大通りを人が行き来しやすいよう、幅の広い歩行者用デッキを整備することも提案しました。

渋谷区と協議しながら、この3点を軸にプロジェクトの骨格をつくりあげると、今度は東京都との協議に臨みました。このタイミングで「STEAM人材育成拠点」を追加提案し、最終的には、国(内閣府)の許可を得ることで特区として認可され、建築規制が緩和されたのです。

一連の行政協議により、廃道や各種建築規制の緩和、計画地の拡張が実現し、事業の採算性を確保。同時に、渋谷区からの要望であるバスターミナルの整備、国際水準のホテル誘致、バリアフリー化を再開発計画に反映。双方の想いを実現するかたちで、プロジェクトの骨格ができあがっていったのです。

ストーリー3

STORY_03

「渋谷らしさ」のつまった
新たなランドマークを。

渋谷二丁目プロジェクトには、このエリア「らしさ」に着目したシンボリックな施設が2つあります。そこには地権者様の声も数多く反映されています。

1つ目は「上空広場」です。どのような開発計画にするか議論するなかで挙げられたのが、「渋谷駅東口に新たなランドマークをつくりたい」という意見。当社としても、「ランドマークをつくることでエリア全体の価値を高めることができる」と考え、その方針に合意。そのため計画検討の初期から建築デザイナーに依頼し、デザイン案を練り上げてきました。たどり着いたプランは、スタジアムのような階段状のオープンスペースが、前述の五差路に向かって開かれた上空広場。通りからの視認性は抜群です。イベント開催時などは、広場の賑わいがダイレクトに目に飛び込んできます。

地権者の皆様に提案したところ、最初はどなたも驚かれているご様子。「奇抜すぎるんじゃない…?」とご心配の声もいただきました。ただ、「人がいきいきと活動する様子を、新しい都市の風景にする」というコンセプトをお話しすると、「渋谷らしくておもしろい」「このプランでいきましょう」と最終的にはご賛同いただきました。渋谷区長にデザイン案の提案を行ったところ、「面白い!渋谷だったらこれくらいやらないと。もっと突き抜けたデザインにしてもらっても良いよ(笑)」とポジティブに受け止めていただき採用へ。他のまちなら先鋭的すぎて実現していなかったと思います。渋谷というまちのチャレンジ精神を実感しました。

ストーリー4
ストーリー4

STORY_04

教育の香りただよう東口エリアに、
最先端のSTEAM人材育成拠点を。

2つ目のシンボリックな施設は、「STEAM人材育成拠点」です。実は、特区協議の際、東京都からは「もっと独創的で、日本の国際競争力に資する施策」を求められました。これを受け、チームメンバーとブレストした際には、宇宙をテーマにした企画のアイデアが出たりもしましたが、この場所でやる必然性は薄かった。そこで地権者の皆様にヒアリングすることに。その会合で出てきたのが「教育」というキーワードでした。「この辺りは、文化や教育の香りがするんですよ」「青山学院大学の他に国連大学、実践女子大学などの様々な大学もある。元々は、こどもの城や児童会館といった子ども関連の施設もあったしね」。やはり長きにわたってこの地域を見つめてきた方々の意見は的確です。こうして教育という方向性で企画を練り直すことに。そして、教育関係の専門家などへのヒアリングを進める中で、当時アメリカで話題になりつつあったSTEAM教育というものに出会いました。

STEAM教育とは、科学(Science)、技術(Technology)、工学(Engineering)、アート(Art)、数学(Mathematics)という5つの領域を分野横断的に学ぶ、新しい教育概念です。私は学生時代から、ひとつの専門分野を突きつめる従来型の教育より、分野横断的な教育に魅力を感じてきました。実際、これからの時代のトレンドになっていくでしょう。次の世代のために、最先端の教育を普及させるお手伝いができたら、これほど素晴らしいことはありません。そんな想いを熱く語ったところ、東京都からも非常に高い評価をいただき、特区の適用を認めていただけました。

ちなみに、STEAM人材育成拠点をつくること自体に経済的メリットがあるわけではありません。ただ、この再開発ビルを訪れてくれる人々に対して、次代を担う魅力的な人材との接点を提供できます。それを目当てに入居したいという企業も出てくるでしょう。仕掛けの作り方次第では、再開発ビルの入居率や賃料水準を高めることができるといった事業収支の面でもメリットを生むことができます。

ストーリー5

STORY_05

対話を尽くす。
これまでも、これからも。

再開発には3つの節目があります。開発内容について行政から了承を得る「都市計画決定」、本格的な事業推進や資金調達を可能にするための「組合設立」、各所有者が持つ個別の不動産の権利を建て替え後の新たな再開発ビルの権利に置き換える「権利変換」。現時点ではまだ2つ目、組合設立が完了した段階に過ぎません。権利変換は地権者一人ひとりの財産に関わる重要な内容であるため容易ではありませんし、建物が竣工を迎える2029年まで気が抜けません。

それでも、プロジェクトをここまで発展させられたことに大きな達成感を覚えています。振り返ると本当にたくさんの困難がありましたから。もともとすべての地権者様が当初から再開発に賛成していたわけではありませんでした。「親から譲り受けた思い入れのある土地だから、何も手を加えたくないんです」「経済的メリットがもっと大きくないと協力できません」。反対の理由はさまざまでしたが、粘り強く、誠意を尽くして話し合いました。

再開発に前向きな方からは、「反対者にはもっと強気な対応に出てもいいのでは?」とアドバイスされたこともありました。しかし、強引な手法を私たちは善しとしません。上司からも「対話を尽くす今のやり方を変える必要はないからね」と言われました。最終的に皆様にご理解いただき、プロジェクトを軌道に乗せることができました。頑なに反対されていたとある地権者の方も、今では「建物ができたらテープカットさせてね」と建物の竣工を心待ちにされています。

渋谷二丁目プロジェクトは、多数の地権者様とともに進める共同事業。高齢な地権者様の中には、「人生最後の大仕事」と位置づけている方もいます。そうした想いに応えられるよう、対話を尽くしながら、引き続き事業を推進していきたいと思います。


※記事内容および社員の所属は取材当時のもの、在籍時の部署名称となります。