DO for 継承

開創約1300年の寺院に寄り添い、歴史・文化を次世代に継承(前編)

貢献するSDGs目標

  • 11.住み続けられるまちづくりを
  • 17.パートナーシップで目標を達成しよう
  • 目標11 住み続けられるまちづくりを
  • 目標17 パートナーシップで目標を達成しよう

2023年9月、築200年以上の木造寺院・ホテル・商業施設が一体となった複合施設「東京建物三津寺ビルディング」が竣工。大阪のメインストリート御堂筋に新たなランドマークが誕生しました。三津寺は西暦744年に聖武天皇の命により行基が開創したと伝わる真言宗寺院です。現在の本堂は江戸時代の建立であり、大阪大空襲の被災を免れた貴重な木造建築。堂内には平安時代の作とされる有形文化財の仏像のほか、天井に描かれた100を超える色とりどりの花卉図※1、漆や金箔で彩られた柱や彫刻など、豪華絢爛な江戸美術の荘厳も残っています。その一方で、本堂の保存・継承、庫裏※2の老朽化といった課題も抱えていました。
前編では、伝統技法である「曳家」も用いた寺院建築の再生をテーマに、三津寺の加賀哲郎名誉住職と加賀俊裕住職、東京建物ホテル事業部の今里善則(運用担当)、山田渉(開発担当)が本プロジェクトを振り返ります。

  • ※1 花を咲かせる植物を描いた絵画
  • ※2 寺務所や居住スペースなどが入る建物

木造の本堂を包むホテル・商業施設の一体開発

今里)

こちらの本堂は江戸時代末期の1808年に建立された木造建築ですが、今回のプロジェクトではその本堂を包み込むようにビルを建設しました。1〜3階の吹き抜け空間に本堂を収め、4〜15階にはホテルが入居します。ビルの1階はお寺の境内でもありホテルのエントランスでもあるというユニークな構造となり、お寺を身近に感じられるとともに、国内外を問わず多様な人々がゆるやかに交錯する空間となっています。
三津寺さんは開創から約1300年もの歴史があり、地域の方からは「ミナミの観音さん」「みってらさん」の愛称で親しまれています。今回の一大プロジェクトに至ったきっかけをあらためて聞かせてください。

名誉住職)

以前は西の御堂筋ではなく南の三津寺筋側に山門を設け、鉄筋コンクリート3階建ての庫裏があったんです。1933年に建てた庫裏はご相談した当時すでに築80年を超えていて、瓦が落ちる心配や老朽化の問題がありました。そろそろ建替えが必要だと思いながらも資金繰りなどに悩んでいましたら、大阪・関西万博の開催に合わせて御堂筋の拡幅工事がはじまることに。それなら本堂だけは残して、御堂筋から入れるように建物の再整備ができないかと考えたんです。

住職)

同じご相談をほかのデベロッパーさんにもしましたが、本堂を2階以上か屋上に設置し、通りに面した1階部分は全部、商業施設にしてほしいといわれました。私どもの宗教活動に対する想いを理解し、本堂に関する要望に真摯に応えてくださったのは東京建物さんだけでした。それで共同事業をお願いすることになったんです。

山田)

私たちが提案したのは、東京建物と定期借地権設定契約(期間を定めて土地を賃貸する契約)をご締結いただき、事業収益を還元することで檀信徒さんのご寄進のみに頼ることなく持続可能な寺院経営ができるしくみでした。借地権者となった東京建物が施工会社との工事請負契約や、ホテルとの賃貸借契約を結び、土地を所有する三津寺さんにはこまめに進捗をご報告して、その都度ご了承をいただきながら事業を推進しました。
実はホテル以外にも集合住宅や商業施設など、さまざまな可能性を検討していました。しかし大阪でも屈指の繁華街である場所柄と、インバウンド需要を見極めると、やはりここはホテルが最適ではないかというご提案に至りました。入居されたカンデオホテルズさんは関西の事情に通じており、京都で町屋を改修・活用したホテルなどでもご一緒していたことから、お声がけしました。

名誉住職)

これまでは檀信徒さんとのおつきあいばかりでしたが、「開かれた三津寺」をコンセプトに事業を進めていただきました。ホテルと聞いて、国内外の方々と広く交流できるチャンスだと思いました。地域に開きたい三津寺にとっても、観光のまちをめざしている御堂筋にとっても、最善のプランだったのではないでしょうか。

築200年以上、約150tの本堂を「曳家」で移設

©株式会社デジクリ 岩﨑和雄

山田)

実際の本堂を拝見し、基礎の部分は阪神・淡路大震災を耐えぬき、さらに改修もされているとお伺いして、まだまだ活かせると感じました。名誉住職の本堂への想い、御堂筋側に移設したいという願い、施工会社の技術的な検証や効率的な建築計画なども含めて、パズルがカチッと合ったのが「曳家」という手法でした。

名誉住職)

震災の3年後に「平成の大修理」として本堂の基礎部分や地盤を整備していました。そのときにも曳家を経験していることから「いけるんじゃないか」となりましたね。檀家総代らが集まる責任役員会にもはかり、問題なく受け入れていただきました。

山田)

本堂の重量は約150t。三津寺筋側から御堂筋側へ移設するために、綿密に精度を管理しながら2回の曳家を実施しました。基礎から切り離した建物をジャッキアップ(持ち上げる作業)して、敷設した架台レール上をスライドさせて一旦南側へ移し、地下工事を施してから、北側・西側へと直角に移動させました。もちろん、施工にあたっては安全対策、騒音・振動に最大限配慮しています。

曳家とは?

建物を基礎から切り離し、建物を保存しながら、もともとあった場所から移動させる工法。本プロジェクトでは、2回にわたって曳家を行いました。曳家工事の様子の動画はこちら

第1回曳家工事(2020年9月)

本堂を基礎から切り離す→レール上をスライドさせて南側(右方向)へ移し、旧基礎を解体

第2回曳家工事(2021年7月)

地下工事を実施後、再び北側(左方向)へ→御堂筋に面した西側(手前方向)へ直角に移動

境内とホテルエントランスを兼ねたアプローチ

住職)

再生した本堂では、境内に入ってきた方が「お寺に来た」と感じられるように、太鼓の音やプロモーションのアニメを流したりしています。音響設備や防犯設備など、いろいろな用途を想像しながら「こういった設備が必要ですよね」「こちらはいかがですか」と、東京建物さんがいつも寄り添ってくださったのは心強かったですね。お寺の入口を御堂筋側にした場合、ホテルのエントランスをどこに置くかも一緒に考えた結果でした。

山田)

本堂と庫裏、ホテルエントランスを限られたスペースに収めるためにかなり協議しましたね。当初はホテルエントランスを三津寺筋に配置するプランを考えていました。その後、ホテルサイドからも御堂筋にエントランスを設けたいという要望があり、空間のサイズ感や外観などがお寺の雰囲気を阻害しないデザインをご提案させていただきました。どのような協調ができるか三者で何度も話し合った結果、ホテルに宿泊するお客様が気軽に参拝できる空間になったと思います。

地域の歴史まで見えた文化財の保全

今里)

こちらのお寺ではご本尊の十一面観世音菩薩像のほか、薬師如来や弘法大師、愛染明王など、平安時代から江戸時代の仏像を複数お祀りしています。有形文化財に指定されているものもあり、工事中の対応など管理はたいへんだったと思います。

住職)

多くは大阪市立美術館や美術品倉庫に預かっていただきました。本堂の柱の装飾などは移せませんから、東京建物さんの方でかなり配慮していただいたんじゃないかと思います。

山田)

本堂の養生には細心の注意を払いました。曳家においては、どんなに正確に作業を進めても微妙な傾きや計画と異なる箇所などもあって、その都度状況をご報告しながら適切に対処していきました。
ビルと一体化することで建築基準法・消防法などの法律に基づいた設備が必要になり、本堂の天井にはスプリンクラーを新設しています。ほかにも本堂の設備配線をどのように行うかなど、よりよい解決策を探るために関係者みんなが知恵を絞ったプロジェクトでしたね。

住職)

うれしかったのは私どもも学びが多かったことです。この機会に文化財調査もしてみようと、京都市立芸術大学にご協力いただいたところ、天井にスプリンクラー用の穴を開けるのなら、貴重な天井画を傷めないようにそこだけ模写したものに差し替えたらどうかとご提案いただきました。それで研究室の学生さんに全く同じ絵を描いていただき、さらに周りに馴染むようくすんだ色彩に調整までしていただいたんです。

このとき元の絵を調べたら、緑の部分は緑青(ろくしょう)という銅のサビを使っていて、江戸時代に大阪の職人さんが描いたであろうということもわかってきました。きっと今から100年後に改修する方も令和時代の模写に気づくと思うんです。だからどうぞ裏側にお名前を残してくださいと学生さんにお伝えしました。その方のお子さんやお孫さんに「私の絵が三津寺にあるんやで」と語り継ぐよすがになります。お寺は地域の記憶を継承していく場所として、世代を超越した時間感覚を持たなければいけないなと思いましたね。

後編はこちら

お寺が担ってきた文化の継承とは

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