PROJECT STORY
中野セントラルパーク
プロジェクトをそれぞれの視点から語る
多くの関係者を巻き込み
心を動かす仕事を
追求する
沢 俊和
都市開発事業部 課長代理
2005年新卒入社
※在籍部署はインタビュー当時の部署となりますので、
現在の部署とは異なる可能性があります。
PROFILE
関西出身の沢は、中学2年生の時に阪神淡路大震災を経験した。その経験から、安心で安全な住環境の構築に強く想いを抱くようになり、建築学科を選び大学院まで進む。就職活動では、ひとつの分野や建物を追求する仕事ではなく、まちづくりの観点から大局的に事象を捉え、仕事に臨める総合不動産ディベロッパーを志望。若手であっても提案の機会があり、受け入れてもらえる懐の深さを感じ、東京建物に入社を決意する。
「実は、私にとって、中野セントラルパークが初めて都市開発に携わった案件でした」。沢は、入社以来、住宅部門に所属し、分譲マンションの開発に携わっていた。「すべてが初めてのことばかり。しかも、このプロジェクトは東京建物でも前例のほとんどない規模の開発。腹をくくりましたね。やるしかないと」。当時、入社4年目。沢のチャレンジは、このような状況から始まった。
「プロジェクトを進めるにあたって、いくつか難しいことがありました。ひとつは、地元の方や企業、大学、行政機関など多くの関係者を巻き込んで開発していくことでした。これまで、中野のまちは、新宿に隣接する住宅街という顔を持っていました。しかし、このプロジェクトは、中野駅前再開発の一環として、多くの企業を誘致し、隣接する大学や約1.5haの広さを持つ公園の整備など複合開発を行うことで、中野というまちに新たな魅力を創り上げる使命を担っておりました。使命を果たすためには、関係するすべての方に、私たちの描く未来に共感いただく必要がありました」。竣工後のエリアマネジメントの観点を持ちながら、中野駅前の広大な土地を再開発することは、東京建物にとっても初めての取り組みだった。開発のフェーズでも苦労したが、一からエリアマネジメントを学び、体制を整え、実施内容を整理して予算を勝ち取り、一定の規模で運営を展開し、オフィスワーカーや地元の方に日常的に過ごす場所やイベント開催場所として利用していただけるようになるまで、苦労が続いたという。さらに、リーマンショックによる景気変動や東日本大震災に伴うオフィス設計の変更などにも、苦心した。
「中野セントラルパークができることで、どのようにまちの未来に貢献できるか。ビル単体だけではなくまち全体としてどうあるべきかを考え、竣工後の運用面についても綿密に計画していきました。例えばオフィスでは、ただスケールの大きさのみを訴求するだけでは、差別化はできません。この場所だからこそ体験できる新しさに目を向け、新しい働き方の提案にフォーカスした施設計画や運営計画を検討するなど、徹底してこだわり抜きました」。
前例のない取り組みであったとしても、妥協なく想いをひとつにプロジェクトに向かう。直面するさまざまな困難に対しても、ただ解決策を探すのではなく、乗り越えた先に広がる未来に目を向けることで、より魅力的なまちづくりに向かうことができる。「中野セントラルパークに携わったことで不動産開発のプロとしての道を歩み始めたことができたと思います。多くの方の協力があって、自分の仕事は成り立っていく。だからこそ、すべての方々の心を動かす仕事を追求していきたい。そう感じています」。
現在、沢は東京の玄関口である八重洲地区の再開発プロジェクトに携わる。中野セントラルパークで得た経験を活かし、また、新しいまちづくりを担い続けていく。